updated 2023-05-09
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美しいと思った風景(場所)そのものの持つ力をかりて絵を描き私は遠くに行ける。
それはさながら物語を読んでいるような感覚だ。
からっぽの私の中に、ある人格が形成されて彼/彼女等と私はどこか遠くへ行く。
風景そのものをうつしながら、絵の具を置く時点で、それは風景ではなく、別の何かにかわる。
風景に似ているなにか。
そのものをつくろうとするのではなく、そのものに似たなにかをつくる。
たとえば私が庭の絵を描くとする。
絵を見た人は、私の見た庭とは違う庭を頭に思い浮かべるかもしれない。
それは一枚の絵を通して、ひとつの庭がいくつもの庭になりえるということ。
私ではない誰かの視線で自分の絵を見てみたい、というのが私のひそかな願いである。
「一つの景色がわれわれの快感を誘うのは、眼に見えているその対象の性質によるだけでなく、その景色を見てわれわれの頭脳に呼び起こされる無数の想像が、大いに働いて快感の要因をなすのである。」ドラクロワ『芸術論集』抜粋
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美しいと思った風景
そのものの持つ力をかりて
絵を描き
私は遠くに行ける。
星降る夜になったら 10万円
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