2010/6/22 (Tue)
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絶妙な距離感
猫のいる生活にすっかり慣れてきた。というよりむしろ引っ越してきたのはこちらだから、猫が私たちのいる生活に慣れてきたというべきか。 メリーみたいにぶんぶん尻尾をふって駆け寄っては来てくれないけれど、何となくそばに座っているだけで許されている感じがして。お互い適当な距離を保っているのが性に合っている。人間同士もひとつそんな感じでいかないものか。
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2010/6/22 (Tue)
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Lです。
「Sですか、Mですか」 という会話をテレビで聞くたびに、ポテトのサイズじゃあるまいし、それって公言できる話題なんですかってどこかで思ってしまう古い人間の私は「Lですよ」って心の中でボケている。 ほんというと、SとMの区別がようわからんかったりもするのだけれど。聞いてどうなるってものでもないんじゃないかな。
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2010/6/4 (Fri)
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いつでもどこにでも。
ちょっとずるいのかもしれないけれど、逃げ道をつくっておこうと思う。 心の持ち様のはなしで、かなり抽象的な例えだけれど。 できれば暗い夜道ではなく、花びら舞い散る陽気な道でもない。 夕焼けがきれいな帰り道のような逃げ道がいい。 そうすれば、なんとか楽しく生きていけるような気がする。
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2010/5/24 (Mon)
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順番がわからない。
まんべんなく本を読んだり、映画や舞台を観たり、音楽を聴いたり。そういうことができずに一点集中型で焦点を絞ってしまうときがある。あるいは真逆に、あまりに対処すべきことが多くて、漠然と目を開いたまま目の前のものたちの本質を何も見ていないときと。そんな状態が続くと、自分の世界はなんて狭く、ひとに語るほどのものを何ひとつ持っていないような気がしてくる。 数ヶ月間の環境の変化で、向かい合ってごはんを食べることがなくなった相手の手がひどく腫れていることにも気づかず。そんな肝心なことを見落としたことがなによりかなしい。
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2010/4/24 (Sat)
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ジャングルジム
夜の公園、青いペンキのジャングルジムに雪が降り積もる、そんな小さな絵を買った。 昔、ドリカムの美和ちゃんがステージ演出に数えきれないほどの風船が登場するたびに泣いていたことがある。たぶん、感動して、というよりもっとコントロールできない感情が琴線に触れるのだと思う。私にとっての雪のジャングルジムも同じ。 泣くのは悲しいときばかりじゃない。ロマンチックで、哀しくて、楽しくてうれしい思い出や、優しい言葉、いろいろな気持ちを思い出して涙がでる。しんしんと音無き音で雪が降り積もるように、毎日すこしずつ心のどこかに積もってゆくそれらを、あるきっかけでふっと思い出す。
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2010/4/17 (Sat)
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喜びは無限に。
お世辞は言わない、言えない。本当のことを言いたい。悪いところもすぐ見えるけど、いいところを見つけるのも得意技。ぎりぎり精一杯いいところを見つけても、それをうまく伝えるのは難しい。それならば黙るほうがボロが出ず。 ほめられるのは嬉しい。できれば本気でほめられたい。 最近は自分のことだけじゃなく、たとえば画廊に掛けている作品をほめられることがあり、喜びの確率はグンと上がった。しかも、自分のこと以上に嬉しいものだということを知る。
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2010/4/14 (Wed)
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少ないといえば少ない。
何度目かの引っ越しをして、自由に使える小さな空間で気持ちよく暮らすために、必要ないと判断できたものを処分する。 それでもぐるりを多くのものに囲まれた寝床でふと目覚めた今朝、気づいた。 ひょっとして私が持っているすべてがこの部屋にある。逆にいえば、ここ以外のどこにもないんじゃないかと。 結婚するときに持たされた子供の頃のアルバムや成績表、捨ててしまおうかと思った賞状、かなり処分して少なくなった手紙、へその緒までも。私が持っているということはすでに実家には私の部屋も含めてほとんど何も残っていない。だからここ、この見渡せるものがすべて。大半はあふれている「今」だけど。そう思えば、たったこれだけかとも言える。できればモノにとらわれず、生きてきた証なら誰かの記憶のなかに残したい。
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2009/12/25 (Fri)
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天使は歩いて。
陽の当たるメリーゴーランドから基礎の不安定なジェットコースターに、いつの間にか乗り替えてしまったようなこの半年。日々の気分もあがったりさがったり目が回ったりの千変万化。楽しい、ときどきしんどい。 人生最高数的に初めての人と出会い、いつかははがれるようなメッキなら最初からほどこさずに接することで相手のほんとうもわかるというもの。などと偉そうなことを言っても、見る目がないなと自信をなくすこともたびたび。ただ 良い方に予想をはずしたときは喜びも大きく、きっと今後の人生観ですら変わるほどの出会いもあるかもしれない。そしてそれはどんな仕事においてでも起こりうる。目の前にいる人が、天使や座敷わらしであると、思ったもん勝ちなんじゃないかと、イヴの夜を過ぎて想う。
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2009/12/11 (Fri)
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うさぎの目のように。
誰が何を言おうと気にすることはないと言ってくれる先輩がいる。 でも一番うるさく駄目だしをするのはかつてなかったような自分。 白髪まじりの頭にも少し成長の兆し感じ、歳をとってもわずかに伸びしろはあるもんだとほめてやる。そんなこんなでバランスをとる。 ただバランスはいい話に弱く、調整できないほどに涙もろい。赤い目は疲れだけじゃないのかもしれない。
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2009/11/17 (Tue)
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ぷかぷかと。
これはないほうがいいのではと思うもののひとつに洗濯ネットがある。からまらないように、濃い色のものに白い繊維がつかないように、と使ってきたけれど、どうも効果はいまいちで。洗濯機自体の性能が落ちたこともあるけど、結局ネットを使わない方へもどりつつある近頃。 人の気持ちも同じで、よかれと思ってやってきた事は相手にとって余計なお世話、ありがた迷惑ということもあるんじゃないかと思い至る。 何事も無理に抗おうとするよりも流されるままに、ふんばる力を抜いたほうが楽かもしれず。眼前にたちあがる種種の問題も、立ち向かうよりは少し離れて眺めていれば、流れる時間のなかで落ち着くべきところに落ち着くのかもしれない。 近頃亡くなった思想家レビストロース氏『悲しき熱帯』に「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」とあるらしい。 しょせん人間がやることなんて、とまでは卑下しないけど、情報に溺れるよりは流されながら自分を見つめたいと思う。浮き輪は欲しいけど。
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2009/10/18 (Sun)
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ただ一切は過ぎていくばかり。
一進一退、一喜一憂の病人につかず離れずの日々。病院に居た頃のほうが元気だったのでは、と不安になる。無理矢理食べさせることも、無理矢理散歩に連れ出すこともできず、何が悪いのでも、誰が悪いのでもなく、ただ時間の流れのなかで見守るばかり。 取り除いたはずの身体の痛みは、いまだ巣食っているこころの病いにまどわされているように見えて。ただそう見える、としか周りの者には想像することができなくて、なに一つ明確な解決策が見つからない。
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2009/9/6 (Sun)
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アクセサリー
さっぱりと身軽に生きていきたいと思うのとは裏腹に、シニアグラスという名の老眼鏡(もうすぐ)、iPhoneという名の携帯など、半径50センチ以内というよりは身体に付属するように持ち歩かねばならない荷物が増えていくことを憂えている。 仕事をさせてもらうための相手資料に設備は脳みそふたつ、などと書いてはばからなかった頃もあったのに。「若かったあの頃」などというのはシャクだけど、お互いを看病しあうのが人生の、夫婦の最後のしごとのようだと悟るには早すぎて。
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2009/9/4 (Fri)
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応用問題
家庭生活も仕事生活も、何とか基本問題をこなせるようになったと思ったら、この数ヶ月、日々、応用問題の連続となりにけり。それも少しコツがわかったところで身内が入院、再びハランの日々。 あれもこれもがあっちでこっちで気持ちと体力を奪い、全部できっこないとわかってはいても、できなきゃ自己嫌悪、できても自己嫌悪、歩幅が小さくなって性格が悪くなってきた。疲れてるせいかな、それともこれがほんまかな。それならそれで問題の解き方もあるのかもしれない。
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2009/7/18 (Sat)
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「無題」
ヘタをするとブログの本文を書いているよりもタイトルを考えている時間のほうが長いときがある。それはまさに「下手」なときで、すんなり決まるときは全体的にうまくいくときだ。 かと思えば、作家が表現する絵や版画の場合、作品そのものに目がいくからかタイトルについては無頓着で、買ったものに作品カードが入っていないときは自分でわかりやすい呼び名をつけてしまうという何とも申し訳ないことも多々。 でも、その無頓着というのは実は錯覚で、ちゃんと考えられたセンスのよいタイトルは作品の邪魔をしないで一体化していることに気づいた。 最近出かけたグループ展。個性がたくさんあると特に、あまり巧くないタイトルがつけられているとなんだか居心地が悪く、作品のあしを引っ張っているんじゃないかとさえ思える。 ヘタをするぐらいなら、無題。なるほどなあ。
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2009/7/9 (Thu)
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ことだま
「きょうはいっぱい売れるような気がする」と、いつもの冗談ではなく、どこかきっぱりと明朗に胸を張るツレアイに、思わず「ほい」と返したその日、ほんとうに作品が売れた。 正確にはいっぱいではなかったけれど、始めたばかりの画廊商売としてはゼロじゃなければ十分「いっぱい」の範疇のこと。嬉しくて本当に予感がしたのかどうか確認すれば「言ってみただけ」と言う。 あやしげなタレント本のようだけど、これが「言霊」の力かも。それならばと毎日言おうと思っても、これがなかなか口にしづらい。心の中で思うだけではなく、言の葉にのせるパワーが不思議な力を呼び寄せるのかもしれない。あやしい?
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2009/6/30 (Tue)
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資格ってなによ。
「ディア・ドクター」を観る。 「蛇イチゴ」「ゆれる」で肉親間の隠された気持ちを露にした西川美和監督が三作目にして、月曜日の映画館を熟年客で満席にした。キャストたちによる連日の宣伝番組出演、「お茶の間」に近い鶴瓶さん、「顔」(阪本順治監督)のときに感じた勘三郎さん(1ポイント出演)人気、どれが動員に結びついたのかわからないけれど、わかりやすいエピソードも深い洞察力を持つ監督の手にかかるとこんな毒気のある花を咲かせるのかという脚本、演出に拍手。 余さんが救急処理のあとへたりこむシーン、香川さんが刑事の前で倒れてみせた説得力、八千草さんのたおやかな母親像。そしていい加減だけど大事な何かを体現する鶴瓶さん演じるインチキ医者。 ラストに流れる「遠回りするのさ、どんな道草にも花は咲く」(モアリズム/笑う花)がまた良くて。
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2009/5/27 (Wed)
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すべりそうな話
ただ身体的に疲れているというよりは、できていたことができないもどかしさや、おぼろげながらもやっと見えかけた旗のようなものがまた見えなくなった焦燥感に、前向きな言葉を発せられず。それならばいっそのこと自虐ネタで笑おうとするものの、笑いきれずに自滅する日々。 長い人生、三歩進んで二歩さがるときもあるさ、っていうのも、ほらやっぱりすべっている。いやいや、二歩もさがってないよと優しくなぐさめて、こつこつと歩き続けよう。
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2009/4/21 (Tue)
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小さいオトコ
最近、ユニクロでもMUJIでもメンズのSサイズを買うことが多い。デザイン的にレディスよりもシンプルだったり、好きな色がたまたまメンズにしかなかったり。滅多にないけど着るものが他人とかぶる確率が低くなることもある。 でもね、考えてみれば、決して華奢で小柄とは言えない私がSサイズを買うこと自体、ちょっとおんなごころをくすぐってるんじゃないかって。自分でね。 全体的にスリムでミニマムなデザインが多いファッション流行りのせいで、必要以上(と本人は思っている)に太い?でかい?って再認識させられる現状。これは唯一の対抗手段でもあるわけで。 しかーし、驚くべきことに、そのメンズSサイズがぴったり、もしくは、ちょっと小さいという近頃に、もはやなりふり構わずメンズMサイズに手を出すかどうか、ちょっと悩める春なのである。
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2009/4/20 (Mon)
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新陳代謝
小さな子供の、しかも幽霊、を抱っこしてる夢を見てその柔らかな感触が切なくて久しぶりに泣きながら起きた日曜日。あれ、長らく患っているめばちこが快癒の気配がする。 そういえば逆まつげができたときバトミントンで汗をかいたらあっさり抜けて治ったってこともあったな。だから涙腺にできた出来物はひょっとして涙を出せば治るんじゃないかっ。目薬より涙。これぞ自然治癒力。と邪心を抱いたらやっぱり治らない。いざ泣こうと思っても泣けないもので、、それにしても天使のような抱き心地のあの子は親に会えたかな。
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2009/4/3 (Fri)
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としつきひ。
事務所移動に向けて長年開けてなかった引き出しを整理。 顔を思い出せない名刺、赤面ものの書き付け、使ったことのない卒業名簿、ほこりをかぶった思い出がわんさか。 極めつけは就職用に書いた履歴書。モノクロの微妙な証明写真は別人の落ち着き様で、家族構成の欄の父母の年齢はちょうど今の私たち。まいったなあ。これも新しい門出への叱咤激励と受け取っていいのでしょうか、神様。
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2009/3/21 (Sat)
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ここから見えるもの。
吐き出せ、吐き出せ、もうなにも出ないほどに。もうなにも悩む力もなくなるほどに。 自由だ、って思うのは、本当は自由じゃないのかもしれない。 本当の自由は自由という言葉にすらとらわれないカタチのないもの。 その言葉、存在を忘れてこそこころはどこまでも空のように際限なく広く。 人生は朝ドラのようにはいかない。でもよく見ると似てるところもないとはいえない。 そう気づいてシラける場合と、逆に共鳴するときと。 基本的に作り手の経験ー単純に人生の長さー、深さ、そしてセンス。 現実は事実にちがいないけど、見方を変えて現実をも変えるちから。 ところで、センスってなんだ。
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2009/3/18 (Wed)
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育ち盛り
大学出てから身長を測る機会がなくてなにかと162センチということにしていたけれど、ありがたいことに結婚してからすくっと伸びてるような気がして今さらながらの背比べ。本棚の横にあご引いてくっついて、お、163センチ。縮むには早いとは思っていたけれど、わずかながらも伸びてるとはどんだけストレスフリーなのか、っていうのは謙遜。いやいや。
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2009/3/9 (Mon)
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犬のきもち
「探偵ナイトスクープ」で盲導犬を育てた夫婦の話に泣く。 もうすぐ盲導犬としての仕事を引退し、再び夫婦のもとに帰ってくる前に、一目その仕事ぶりを見てみたいと願う夫婦。会えば混乱させてしまうからと、こっそり遠くから見る姿がおかしくも優しい。訓練士に「ぺろぺろ大魔王」とあだ名をつけられるほどの犬はレポーターの顔もやっぱりぺろぺろなめまくり、盲導犬とはいえちょっとやんちゃな姿に笑う。そして犬に助けられて生活してきた目の不自由な人も、手のかかる子犬時代や最後のときを面倒見られずいいときばかりを一緒に過ごさせてもらって申し訳ないという。別れのときが近づく寂しさよりも元の飼い主を思いやる気持ち。 どの立場にも思いをはせているうちに涙がとまらず、どこにいても愛されている犬のきもちをおもう。
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2009/3/6 (Fri)
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いまどきじゃなくても。
「ありふれた奇跡」(山田太一脚本)が終盤にはいっていっそう目が離せない。独特の台詞回しもじれったいふたりの関係も、ドラマとしては決していまどきじゃなく、なんだか秘密だらけの家族も魅力的というよりは鬱々として受け入れがたい。それでも見入ってしまうのは、どの人物にも注がれた優しい視線が自分にも注がれているような気になるからかもしれない。 誰にもおそらく秘密はあるし、いつも明るく笑っていられるわけじゃない。思い通りにならないことも多々あれば、いったいどうしたいのかわからない時もある。でも悩んでじーっと考えたぶんだけ優しいおとなになると、ちょっとだけ思える。
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2009/2/12 (Thu)
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聞くとはなしに。
お昼ごはんに立ち寄った焼き鳥屋さんで両隣の席からおもろい話、しかも実話が聞こえてくる、ここは大阪。 一方は近所の病院の入院患者がパジャマ姿のまま高枝ばさみを使って干してある下着を取りにくる話。 もう片方は知人が喫茶店できれいなお姉さんに悪徳営業をかけられてると思ったら、実は派手なピンクのスーツを着た相手とお見合いをしていたという話。こちらのオチは残念ながら時間切れで聞けなかったけど、やっぱり「書を捨てて街へ出よう」なのだ。
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2009/2/12 (Thu)
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ためる。
あんなぁ、「表現すること」って毎日ちょっとずつ発散してたら、それが一日の適量になってしもうてもうそれ以上のもんが出てこない気がするねん。充電っちゅうかっこええもんとちごて、自分を欲求不満状態でぱんぱんにしたいねん。それでもう我慢でけへん、、ってとこでどばーっと出したいねん。どうやろ。もう、ひとが書いたものを読むのはやめて自分で書かなあかんような気がするねん。
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2009/2/9 (Mon)
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使いこなす。
よく切れる包丁は料理の腕を上げてくれる。いや、実際にあがらなくてもうまくなった気にさせてくれる(これ大事)。無駄にではなく、千切りがきれいにできれば味のつきかたも変わる。食べたときの歯触りも味のうち、と言う人もいる。切れる包丁は何よりも料理をしようという気分を盛り上げてくれる。 包丁に限らず道具にとってはこれが一番。やる気を削がず、創作意欲を倍増させて実現する。 さくさく動くMacは楽しくてきれいで(これ大事)きっとばりばり仕事にも役立つだろうけど、今のところ最高の遊び友達。遊びにも才能がいるんだと誰かが言ってたけど、オトナになって遊ぶことができれば上等。本当は道具なんかなくてもからだひとつで遊ぶ才能があればそれが一番。 電気を消して、さて、なにして遊ぼ。
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2009/1/24 (Sat)
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ファンでいたい。
ちょっと気になるタレントがいて、その人のファンが長年書いているブログを読んでいたら、いまの人気に至る経緯がわかってさらにファンになって。ずっと応援し続けてきたその愛にあふれた文章はラブレターそのもので、数年にわたる人物ヒストリーでもある。ここまで魅力を語ってくれるファンがいて幸せもの、うらやましい。もちろん本人の努力とひとをひきつける魅力あってこそだけど。 ひとに対することに限らず「好き」はすべての始まり。「好き」の力はあなどれない。
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2009/1/10 (Sat)
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せんぱいっ。
「あなたも親になればわかる」とか、「この年になればわかる」とか、親やその年になった人は言うけれど、ならば「あなたが子供だったときに親に対して思っていたこと」や、「あなたが私の年だったときに抱いていた不安や希望」をあなたは忘れてしまってはいないだろうか。 お互いにいいトシになれば、子供は「親」よりも、人生のよき先輩を得たいと思うもの。 一番身近で長い付き合いの尊敬できる先輩を。 そう反発して記録しておかないと同じことを繰り返してしまいそうだから、生意気は承知のすけの年のはじまり。
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2009/1/5 (Mon)
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二十年限界説。
親と子も二十年いっしょにいるとしんどい、たぶんお互いに。嫁と姑、夫婦もしかり。 神様のお住まいが二十年ごとに移るのも、技術を伝承すること以外に新しさを求めることと無縁ではない気がする。 関係性においてリセットするか、リフォームするか。 こどもが成人の日を迎えて精神的独立を心に誓ったり、わかりやすく引っ越ししたりすることも気持ち一新、新たな門出。 さて新年。二十年のうちの一年の句切り。句読点、あるいは読点。次のテーマを探しにいこう。
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2008/12/23 (Tue)
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座右のメェー
「捨て身になれば不死身になる」(山頭火)。 ものすごっくわかるけど、なかなか捨てられないもので。口ではかっこうよく宣言できても、いざ、となると面倒なことばかりが頭に浮かぶ。そういう方面は得意だから。 来年は、ちょいと楽しい方向に、妄想、暴走、突っ走りたいもんだ。
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2008/11/27 (Thu)
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ピカソ・ファミレド
「自伝を書くように絵を描いている。私の絵が完成されていようがいまいが、日記のページのようなものだ」(ピカソ) 90過ぎまで生きて数万枚の作品を残したひとの言葉(08.11月/朝日)らしい。 「完成されていようがいまいが」のところに勇気づけられるのは私だけか。比べようもない塵だけど、つもりつもればいつか山となるかなって毎日に必要なものは、継続する力が一番、二番は自分でつまらんと思わないことか。
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2008/11/26 (Wed)
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フレンドリーな日。
久しぶりに百人を超す大勢のひとのなかに混ざる。よく知っている二十人ほどをのぞいて何となく見覚えのあるひとが半分ぐらい。挨拶程度ができるひとがその三割。それ以外の会話ができるひとが五、六人。同じテーブルについた八人は初めて話すひとばかりだったけど、同じものを食べて、きものを糸口に会話がはずむ。 自分を人見知りだと思ったことはないけど、どこか直感で話ができるひとかどうかで話しかけたり、なかったりしてきた。でもその直感も当てにはならないなと思うこの頃。目の前で機嫌が悪いひとも、なんか久しぶりに他人と「面と向かっている」感慨があったりして。
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2008/11/13 (Thu)
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ラブ&ピース
「ミスチルもビートルズも結局ラブ・アンド・ピースやろ。それ以外のことは吉幾三が歌ってくれる」って台詞(「天国はまだ遠く」)に笑う。なるほどー。そんなもんやと言われれば、なーんも難しいことなんてないやんって思える。吉幾三さんの歌をちゃんと聴いたことはないけど、なんとなく想像できる。 ブルー・ハーツを聴けばブルー・ハーツの、中島みゆきを聴けば中島みゆきの世界。 創造の世界を想像する。ちょっと参加してみたい気がする。
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2008/10/31 (Fri)
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呼び名。
ちょっとしたカミングアウト。実は実家の両親をパパ、ママと呼んでいた。いや、ほんとは今も。他にそれをおおっぴらに知られていない人がいないところではそう呼んでいる。そうとしか呼べない。まがりなりにもこんなトシなので、人前で呼ぶのは恥ずかしいとは思っている。 決してブルジョワな家庭ではなく、ちっちゃいときの呼び方を直すタイミングを逸してしまった結果だと思う。隣に住んでいた従兄弟んちもパパママで、でもあちらはふさわしい大きな家に住んでいたから、お互いが行き来する仲では誰もおかしいよと言わなかったのだな。 客観的に考えて、それのどこが悪いのかとも思う。それに咄嗟のとき、口をついて出るのはきっとパパママだ。咄嗟のときって例えば臨終間際、とか。縁起が悪いというほど遠いことでもない(ごめん)から、ドラマでそういうシーンを観てて想像したら、やっぱり無理という結論に達して、一応言っておこうかなと。
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2008/10/13 (Mon)
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鼻血ぶー。
小学生の頃、割と頻繁に鼻血を出すこどもで、そのたびに鼻にティッシュをつめて上を向いて首のうしろをとんとんして、ひたすら止まるのを待ってたけど、その間のどで味わう鉄っぽい血の味があたりまえながらまずくて、なかなか止まらないときにはこのまま出血多量で死んでしまうんじゃないかとも思う薄幸の美女きどり。 でもあるとき発想の転換。洗面所で下向いてぽたぽた流れるままにしてるほうがのどもとで鉄味もしないし、気分的に楽で。白いところに赤い血が映像的に耐えられれば、そのうち固まりが出て、それをきっかけに止まる。この極意。だれにもすすめたことはないし、中学生になったら出なくなってしまった。そういや鼻血出してるこどももあんまり見ないなあ。
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2008/9/27 (Sat)
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映画を観るたびに。
映画「同窓会」を観る。高校時代の初恋相手と願いかなって結婚したものの、心のどこかにわだかまりがあって離婚してしまう、そんなこんなの泣き笑い物語。 わかってみれば可愛い誤解もそのときは必死で思いもつかない幼かった頃、ふりかえればいつも側にいてくれるひとがいる幸せも一度はなくしてみなければ気づかない。ほんとはちょっと想像するだけで、きょうこの一瞬がどれだけ大切かがわかるのだけど、それができれば映画を観る必要もないってことかな。 でも、今日みたいに暑くも寒くもない過ごしやすい秋の一日がほんの数日しかないことを知っていると、うれしいよりもちょっと寂しい気持ちが勝ってしまう。オトナノウレイってやつはちょっとやっかい。
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2008/9/21 (Sun)
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雨の日
雨が降っていると買い物に行くのが面倒で、つい冷蔵庫のなかのものやその辺に転がっている野菜でなんとかしようとする。それでもそれなりにきょうの一食になるものだから、それはそれで何とかなるさ的性格が助長されたりするんだけど。 そういえば高校時代にも、雨が降ったら駅までは自転車で行くけど、なんかいやになってまた家に帰ってたりしたなあ、、という話をその頃のともだちにしたら、彼女も「学校行かずに図書館に居た」とか言ってて、三年の頃ってそんな自由だったっけと自分のことながら記憶があいまい。けど、引き返してきた私を母は怒りもせず、結構うれしそうだったと覚えているのは、これも都合のよい記憶なのだろうか。確かめるのはちょっと恥ずかしい。
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2008/9/16 (Tue)
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秋をハグハグ
ひと肌恋しくなるような風が吹いて、できれば害のないひとをハグしたくなる秋の日。 ふと気づいたんだけど、ここはマンションの7階だからちょっとだけ秋の空気にも近いんじゃないのか。きっと1階との温度差、湿度差、体感温度の違いってあるはず。もちろん上のほうが暑いときもあるし寒いときもあるけれど。今のこの時期はちょっとだけ得してるんじゃないかって思うとやっぱりいろんなものを抱きしめたくなったりするんだな。
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2008/9/10 (Wed)
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なさバナ
情けない話ってどうしてこんなにおもしろいんだろ。「わたしはこんなにだめな人間です」「昨日もこんな失敗をしました」なんてね。たまに自慢話の得意な人がいるけれど、まったく笑えない。笑えない話を人にするって関西人にとっては信じられない(それこそ)ハナシである。 病気自慢はもっと高等技術を要する。つい最近、自転車でこけてたんこぶ作って、そのたんこぶが下がってくる話を聞いて大笑いしてしまった。なんて愛すべきキャラ。病気も笑っているあいだに気づいたら死んでたなんて、まるで落語のようにいけたら最高なんだけど。
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2008/8/25 (Mon)
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お酒のちから
早口で、ぼそぼそしゃべるから何を言うてるかわからん、と親にも言われ続けてウン十年。限りなくひとりごとに近いようで、最近はオットにもしばしば無視されている。そのくせ完全ひとりごとに対して返事しようとするからややこしい。ようやく気づいたんだけど、男のひとって、一度にひとつのことしかできない性分なんだな、たぶん。 もうひとつ気づいたのは、何を言うてるかわからん私もアルコールが入ると意外にちゃんとしゃべってるかもということ。照れとか自信のなさがふっとんで、りっぱな酔っぱらいになるということか。あ、それはやっぱり困るな。
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2008/8/13 (Wed)
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どっからでもかかってこい、なのだ。
そうだ、「一緒にいて楽しいひとになろう」 勝ち負けがはっきりしているスポーツを観ながら、こちらはなんだかうだうだしている夏の日。身近なところで目標を設定してみる。年をとればいろんなことに自信が持てなくなって、人生どっちへ向かえばわからなくなったとき、ちらちら光る灯台のようなささやかな目標、そして行動の基準となるように。 年齢、体力、経済力に制限なしの一本勝負。最初の相手は、、。
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2008/8/5 (Tue)
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夏のBGM
とことん暑い夏の夕、ひとシャワー浴びて髪の毛しばって、94,5年のちょっとしぶいサザンの曲をかけて台所に立つ。記憶力の乏しいわたしゆえ「あの夏のことを思い出す」なんてこともなく、ただコンロの熱に負けないようにちょっとクールな気分になるのがいい。それでも何となくどことなく、ちょっと切なくなるのは、やっぱり夏のサザンの真骨頂。 そうこうしているうちに今日の晩ご飯ができあがる。おつかれ。
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2008/8/2 (Sat)
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使わない暮らし`98-`2008
一度に少量しか炊かないので炊飯器がない。代わりに少々重い圧力釜でガス消費時間4分。仕組みのわからない電子レンジもない。残り物は蓋付きの容器に入れるしチンしないのでラップ類も不要。原発反対のささやかな抵抗で自動販売機を使わない。捨てるのが面倒そうなトイレの芳香剤はマッチ1本すれば置かなくていい。街でもらうティッシュだけで足りるので箱入りを買ったことがない。アクリル毛糸たわしで食器を洗えば、洗剤はせいぜい1年に1本。水やりには雨水や風呂の残りや上階のクーラーから出る水を利用。たいていの生ゴミはベランダで土にリサイクル。 無理してこうなったわけではなく「いらないかも」の積み重ねでこうなった。結果、使わないことでお金も使わず、ゴミも出ず、なにより気持ちが縛られない。モノに使われず。使うのは、頭とからだとこころだけ、なんてね。
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2008/7/15 (Tue)
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試され中
そのひとが「試されている気がする」と言ったのが、ずっともやもやと考えていた頭や心の中のわだかまりの、そのことを言葉にすることにおいてあまりにも的を得ていて、腑におちて、泣きそうになる。そうか、試されているんだ。なにに?試されて、見込みがなかったらどうなりますか。そこまでの話はできなくて。 でも、同じように、きっと私よりもずっと重く抱えた心配ごとがあるひとに、自分ではわりきれなかった思いが言葉となって真実を告げられた、そんな気がした。
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2008/7/1 (Tue)
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ぜいごの存在感
鯵のさばき方を本で予習して、うとうとしたら 切れ味鋭い出刃包丁で、向こうずねの下の「ぜいご」を すっ、、と切り取る夢を見て目が覚めた。 あまりにきれいにはがれたので、ほんまに「ぜいご」が ついていた気さえするけれど、足をさすってみたりはしていない。 ついでに広辞苑で調べたら載っていなくて一瞬寝惚けた気分になるけれど、もちろん本物の鯵には固い「ぜいご」が確かにある。
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2008/6/30 (Mon)
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あいまいこそ、人間。
親や祖父母、友達、先生、近所のおじちゃん、ほかにもいろいろ。いつも誰かがそばにいる、それが子供たちを明るく素直にしている、、「国民総幸福(GNH)大国ブータン」(朝日6/29)の記事は読むだけでちょっと幸せになる。 子供が笑顔でいられる国、その基準でいくと日本はいったい何位なんだろう。 いつもそばにいてくれること、そのことがお互いに幸せと感じられず、不幸とさえなりうる関係。 目に見えるものをひとつ、目に見えないものをひとつ。秤にかけることすら間違っていると言いかけて、違う。すでに目に見えない世界でのプラスマイナス。「好き」か「嫌い」の両極端だ。
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2008/6/24 (Tue)
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不機嫌な朝
一枚しかないのに、パンが焦げた。めげそうになりながら、熱湯五分方式でゆで卵をつくる。 機嫌が悪いのは不規則な眠りのせい。 ソファの横から一晩放置されたお菓子の袋を見つけたせい。 ぜーんぶひとのせいにしても機嫌はなおらず。最後の頼みは、黒豆がうまく煮えること。
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2008/6/23 (Mon)
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低く暮らす。
二階建てマンションの二階から始まった二人暮らしは、階段をトントンと上がる感覚が実家とはちがう生活感があって、いま思えばはじまりの気分にふさわしかった。 その後二回の引越し先はどちらも七階で、エレベーターを使わず上り下りするには根性がいる。それでもベランダの葉っぱ越しに超高層マンションを眺めれば、こちらは二階気分にもなったりする。無理矢理だけど。 終のすみかは緑に囲まれた小さな平屋がいい。江戸の長屋暮らしにはほど遠くても、見渡せる範囲にすべての持ち物があって、ちりなんぞもササッとほうきで掃き出せるような、さっぱりとした日々をおくりたい。
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2008/6/9 (Mon)
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贅沢なじかん。
いわゆる通勤というものがない。そうすると電車のなかで本を読むという考え様によっては素敵な時間を持てない。 ということで決めた。夕方、晩ごはんの仕度をするまでの小一時間を日もまだ沈まない明るい窓際で本を読もう。これがなかなかよい気分転換と満足感となる。 ただし選択は難しい。漫画やおもしろい小説はやめられなくて後の予定に支障をきたすから、ほどほどに難しく知的好奇心を満たし、短くタイトルが区切られたものがいつでも切り上げられてよい。 ちなみに今夕のメニューは小林秀雄。ぴったりだ。
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2008/5/29 (Thu)
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視聴率は関係ない。
「本当と嘘とテキーラ」(テレビ東京/山田太一脚本)を観る。 前作でもそうだったけど、相手の台詞に対して「はい」だけで五度、六度と返事するシーンが何度かある。そのひとつひとつの「はい」を微妙にニュアンスを変えて表現する俳優の力と、その力を信じた脚本にいつも感心する。社会や子どもに振り回されて「はい」としかこたえられない状況に追い込まれても、どこかユーモラスで飄々としたおとな像は、こんなおとなばかりならいいなあというメルヘンであり、ドラマが持っていてほしい希望だと思う。向田邦子、久世光彦、野沢尚。井上由美子、大森美香、木皿泉、岡田恵和、倉本聡、、ひまつぶしには観てないよって伝えたい。
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2008/5/28 (Wed)
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高い空から眺めれば。
きっと今までも耳にしていただろう「エヴェレスト、中国名(広辞苑にはチベット語名とある)チョモランマに登頂〜」というフレーズ。はじめて心にひっかかり腑に落ちる。はずかしや。ま、恥じだらけの我が人生だけど。 さらに言えばネパール語名ではサガルマーター。エヴェレストはイギリス人の測量者の名前らしい。チョモランマはどういう意味だったか。たぶん人の名前ではないはず。 日本一の山は富士山。マウント・フジ。ほかに呼び名はない。 むかし国がひとに押し付けた日本名。 自然もひとも誰のものでもない。
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2008/5/26 (Mon)
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五月の読書風
初期老眼と(たぶん)ドライアイの身にむち打って、ここのところ本を読むのが楽しい。「菓子祭」(吉行淳之介)、「楽老抄」(田辺聖子)、「読書力」(齋藤孝)、「仏果を得ず」(三浦しをん)、「信心銘」(ラジニーシ)、、開け放した部屋を通り抜ける風のように、ばらばらな思いが右から左へただ過ぎていくだけでも、なんだか気持ちいい。
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2008/5/22 (Thu)
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苦楽をともに。
「苦髪楽爪(くがみらくづめ)」苦労があるときは髪がよくのびて、楽をする時は爪がよくのびる、、と親から聞いていたことば。調べたらほんまに広辞苑にのっている、、って親を信用してなかったのか、私。しかし、『逆に「苦爪楽髪」ともいう』ともある。いったいどっちやねん。最近、どっちものびるのが早い私は、きのう散髪して爪を切った。人生楽ありゃ苦もあるさ、ということか。
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2008/5/9 (Fri)
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雑談しよう。
「雑談の楽しみを知るのは人生の幸福のひとつである」(外山滋比古氏)らしい。
ちょっと古い言い方をすれば「雑談力」。だらだらと時に笑えて(決して暗い話はだめ)気持ちのコリも顔の筋肉もほぐすようなむだ話を続けるのにはある種の才能が必要だと思う。もちろん手紙と同じで良き雑談相手に恵まれることは必須であるけれど。どんな話題にもあいづちを打てるぐらいの知識と好奇心。どっちが上でも下でもない対等な立場。恋愛中のふたりなら沈黙もまたいいのだろうけど、いいトシのおとながふたりで沈黙してしまうのは相手をよっぽど信頼しているか、苦手か、どちらかだろうな。ま、そんなことは顔をみれば一目瞭然なんだけど。
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2008/5/9 (Fri)
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無理しない
きっと私個人に限らず、ひとはそれぞれその時に属するグループ、場所に合わせていく人かの個性を使い分けている。 ほとんどは意識的に、時々は無意識に。 たまに学生時代の友達に会ったときに「雰囲気変わったね」と言われるのは、本当に変わった部分もあるけれど、瞬間、どの自分で接していたかがわからないのだと思う。でもそうこう考えながらつき合うことがどうでもよくなってきて、今現在の自分でええやん、と思えるのはかなり楽ちんなトシゴロなのかもしれない。
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2008/5/1 (Thu)
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記録と記憶
ある実験で部屋の壁に過去の写真を繰りかえし映していたら、そのひとにとっての過去(という感覚)がなくなったとか。何で読んだのか詳細も忘れたけれど、きのうや一ヶ月前の記憶を手軽に振り返ることができるブログをやっていると時間が行ったり来たりして妙な感覚になることがある。ひょっとして足跡を残しているつもりで、実は不確かなものへ移行しているだけじゃないのかとも思ったり。移行してしまったら、それはなんだか自分の足跡ではなくなって私自身は足のない幽霊のように時間軸のない空間に漂ってしまってるんじゃないかなんて、たまに思ったりする。
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2008/4/20 (Sun)
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春はまだ。
いつもこの時期だまされる。桜が咲いて散ってしまったら、春はもう終わったかのように。そしてちょっと動いたら汗ばむほどの季節がきたと油断して、意外な肌寒さで風邪をひく。こでまりも藤もチューリップも春の花はまだまだこれからというのに。
人生も同じだといいな。希望という言葉さえあえて思いもしないで過ごした元気な日々は、気づけばもう終わってしまった気になって。でもそう思っていたらひょっこり白い花が咲くように、ああ、まだ終わっていなかったと気づくときがくるといいな。
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2008/4/11 (Fri)
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いただきます。
「ヨーガン・レールの社員食堂」という本を買おうかどうしようか迷っている。特に具体的なレシピが載っているわけではなく年間を通して社員食堂で出されたメニューの写真がずらっと載っていて、その淡々とした感じがよい。レシピ通りに用意するのは面倒だし、すましてお皿に載っている料理より、ほんの数分後に食べる人たちがいる現実的な「食」のすがたに興味がある。顔の見える良い食べ手に恵まれることが幸せな料理を生むのだと思う。
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2008/4/7 (Mon)
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ラララ・ラブレター
手書きのラブレターとケータイに届くラブメール(というのかどうか知らないが)と、どっちがせつないんだろう。いまだ未ケータイ人の想像でしかないけれど、字の上手ヘタが出るだけに嘘を書けない直筆に比べデジタル文字は画一的で疑いたくなる。へんに改行されるのも、逆にポエムのように気取って改行されるのも嫌だ。指が緊張してぴぴっと間違った相手に送ってしまったら、文字どおり取り返しもつかない。
ドラマでもケータイの使い方がうまかった「ホタルノヒカリ」や、いっそ登場しなかった「ちりとてちん」は冷めずに見られたけれど。得てして便利な道具はせつなさに欠ける。
ところで、手書きのラブレターって、まだこの世に存在するのだろうか。
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2008/4/4 (Fri)
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アップダウン
上向きの日、うつむき気味の日。特に春は高低差が激しくて、一日のうちでも気分は変わりやすい。これをしたら機嫌がよくなる、ということをいくつかラインナップしておいて、沈んだ日には自分にむちうってやってみる。
たとえば図書館じゃなく本屋に行くこと。新鮮な気を発している本や雑誌に囲まれているとこちらの気分も新しく入れ替わる。その気が消えないように、そっとそっと、でも早足で家に帰る。
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2008/3/28 (Fri)
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イメージする。
たとえば、きょう一日、うしろ向きな発言はしないとか、肩や頭が痛いって言わないとか、ひとがやったことに対してケチをつけない、って決めたら、そう決めただけでいい一日になる気がする。(ほんま?)
それもこれも自分じゃない人間がそばにいるからこその勝手な決め事で、たったひとりの世界に閉じこもっていたらよくも悪くもひととの関係を楽しめない。(ほんま?)
自分を含めたこの世界をすこし離れたところから眺めよう。ちょうど舞台をみる観客のように。そして、満場の拍手をもらえる一日がいつか来ることを願おう。(ぱちぱちぱち)
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