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「たまよみ」

2013/4/15 (Mon)


うまくいくときも
いかない時も平常心。
はしゃぎ過ぎず、落ち込まず、
こんなものさと 平常心。
さて、今はどっちでしょう、ぐらいの余裕
朝の目覚めのひとときだけ。
いずれにしても昨日の自分が今日のワタシをつくっている。
2013/4/7 (Sun)
知っていること。

「クラウド アトラス」を観る。観る者は五百年を行き来しながら、それぞれの時代を越え、性別も国も、そして身分も越えて描かれる人間とつながり同化する。
「命は自分のものじゃなくたいせつな人のためにつかうもの」
「ちょっとしただれかの善意がこの世の中を創造する」
いくつもの台詞が心に残る。でもそれはきっと、人が人であるならば、だれかに教わることなく魂のどこかで知っている真理なのかもしれないと思う。
2013/3/24 (Sun)
線で生きたい。

書き残したいこと、その骨子だけを線、ドローイングのような文章、言葉でつなぐ。無駄なく。
生き方は無駄だらけ、若いときはそのほうがきっと、人として大きな容れ物を持つことができる。年をとったら、力強く、残った線、骨だけで生きるひと。かっこいいと思うけど、でもまだわからない。
2013/3/23 (Sat)
競技場で四年。

リッチでもないのにリッチをみせることはできないと自殺したCMディレクターがいたという。
置き換えれば、アートな生活じゃないのにアートをみせることはできないと。そのうち気づいてしまうんじゃないかと自分がこわい。いや、気持ちだけはあるさと言い訳しても、ほんとうにそうかと問い返される。目の前の一期一会のなかから「これ」と思える出会いを杖に、ゴールのないマラソンコースへ、やっと出たところ。
2013/3/23 (Sat)
春よ、恋。

「最高の離婚」(坂元裕二脚本)に共感したあとで、だからこそ、フツー感覚の恋愛小説を読みたくなった。あるいは恋愛ドラマ。映画ならありそうだけど想像力のはいる隙間がなさそうで。
韓流の王道や昔のトレンディドラマでもなく、ごく普通に胸が痛くなるようなもの、やっぱりここは文字力か。春の睡魔にも打ち勝ってつづきが読みたくなるような。
と、ここまで考えてときめかない原因はこちらにあるのではと素面になる。少々使い古してささくれだった心臓が、不整脈でなく乱れるにはなにが必要なんでしょう。
2013/3/13 (Wed)
ひとつずつ。

ひとつずつ、ひとつずつ片付ける。
「人生の」などとオーバーなことではなく、ハンカチにアイロンをかけたり、明日することの何やかやを手帳に書き留めて。
そうして明日になってひとつ片付いて、次の日にはもうひとつ片付いて、その繰り返しのなかで嬉しいことは忘れずに、心配なことやしんどいことはひとつずつ忘れていきたい。
2013/3/2 (Sat)
メモ1.2.3

その1
Facebookで空気を読むのはむずかしい。
その2
「うらやましい」はその人が持っていればこそ。他の人、ましてや自分が持っても素敵ではない。
その3
テレビから「モーニングさんのおかげで楽しかったわ」という台詞が聞こえて、もしかしたら聞こえたような気がしただけかもしれないけれど、その偶然性にかなり喜んでおる。
2013/1/13 (Sun)
リンクしていく。

この二、三日、ある人と話しているなかで出た言葉や事柄が、別の人との会話で登場したり、見たいと思っていた新聞の別の記事を持ってきてくれる人がいたり。出かけた先で珍しい確率で人に会ったり。他にも思い出せないような些細な「あ、そういえば」がいくつも重なって、リンクして。
ついでに常世と床屋は似てるなとか、ひらめきも冴えているのでなんだか不思議。
ひとまず悪いほうへは向かわずに、よい方角へ伸びていくので年の初めに嬉しいかぎり。
2013/1/13 (Sun)
清々しい日々のために。

新年になってから、気分が続くので毎朝へやを掃除機がけ。狭いへやゆえほんの五分仕事だけれど、いずれ習慣となればいいなとひと事のように期待している。
今までできなかったことが、すこし出来るようになる。
時間的なものよりも精神的なものに左右されているから。習慣は自分という人間を形づけ、居場所をつくるように思える。いい意味で「慣れ」る。あきらめではなく、より気持ちいい今日のために。
2012/12/19 (Wed)
よし。

「死んでもいなくならないよね」(「ゴーイングマイホーム」/是枝裕和監督・脚本)
「道がみつかったんじゃない。もともと目の前にあったんだ」(「遅咲きのヒマワリ」/橋部敦子脚本)今期、楽しみだったふたつのドラマ。
そして夜道を歩きながら決めたこと。
ろくに親孝行もできない娘だけれど、せめて親より先に死なないで元気でいよう。幸せでいよう。
2012/12/19 (Wed)
運命線

生きていくには「ある程度の自信」が必要だ。生きていていいと思えるだけの最低の自信。
どこかの政治家のように過度の自信は苦手だし、逆に自信がなさすぎる人もつきあうにはつらい。
ほどほど具合が難しい。
私自身、かなり元気なひとになったり、やることなすことうまくいかずパワーストーンに頼るほど打ちのめされたり。そのたびに手のひらを見つめては運命線が濃いとか薄いとか確かめるクセまでついてしまった。アップダウンの激しい人生。
ひとつわかることは、自分に自信が持てたら、周囲のひとを元気にするパワーもうまれるということ。石でも運命線でも、頼れるものは頼ってやる。
2012/11/11 (Sun)
分別すること。

情報が多すぎる。ネット上でも、紙上でも。すでに限界を超えている、私的にだが。
だれかが書いてたか、遮断して、本当に必要な情報だけを自分から求める。本当にやりたいことだけをやる。だいたい、それを見極める能力と時間がないのが問題。いや、時間は作ることができるのか。部屋のなかと同じ、必要と不必要の分別ができない。
そんな乱雑ななかにあって、好みが同じだったり、マイペースな感じや言葉の適量にほっとする出会いがある。そういうときには、自分もゆきたい道が見えて、視界良好な気分となる。
2012/11/9 (Fri)
ひとをつくるもの。

人生に表彰状が与えられるわけではない。
過去の名声も成功も、そのひとのなかにあるだけ。自ら言わなくては理解されないものなら、忘れるぐらいに今を生きるほうがいい。
もしも、本当のもの、黙っていても品格のような光るなにかを持っていれば、それは人間の輪郭を必ずつくっている。向かい合ったひとが輝いていれば、いつだってそのひとは一等賞。
負けないぐらい、こちらは誠実であることをがんばるしかない。
2012/9/20 (Thu)
顔のある石?

この夏始めたfacebook。
とある心理学の先生と話しているとき、冗談まじりで「フェイスブックで30人以上友達がいるやつは信用しない」と言われて、年代は違うけれど言いたいことはわかる、と思う世代の私。
そういう私ですら、すでに91人。たぶんリアルなお友達よりたいそう多い。
毎日それだけの人とは会えないのだから、せめて知りたいひとの近況を知る、という意味では有効なのだろうな。何をするにしても積極的に関わらなければ、川を流される石。すべては主体性の問題。
ちょっと気を抜くと、日々刻々と変わりゆく川面を誰の目に触れることもなく、どんどん下流へ。
そこに痕跡を残していく(気にさせられる)ブログとの違いを見つけて楽しめたなら、大海にうまく出られるのかもしれない。
2012/9/8 (Sat)
最強のふたり、になりたい。

あけすけの、遠慮のない言葉や行動に、こちらのほうが怒り出しそうになりながら、かけがえのない関係になっていくふたりを観る。「だってお金持ちだから」ということは心を曇らせるマイナス要因にしかならず、なぜか遠くの親戚より近くの他人、ということばを思い出す。
立場が違っても対等な人間関係を築くこと。それができる素直なこころと、まっすぐに相手を思う気持ち。そして、ユーモア。
簡単にできることではないけれど、困難な人生を歩いていく手足となり、力となるものが、ユーモアだということに元気づけられる。夢物語のようで実話ということにも。
2012/9/8 (Sat)
だれかが見てくれているなら。

歩き回って座り込んだラブリーな喫茶店、ケーキを一気に食べて苦い珈琲でひと息つく。
最後の数ページを読み切ろうと、わざわざ持って出てきた「円卓」(西加奈子著)を読みかけて、あかん、泣いてしまうやんか。あわてて珈琲と一緒に鼻水をすする。
愛しく大切な言葉が乗った紙吹雪、舞う校庭に、いきなり持っていかれた気持ち。
たとえば60歳になっても同じように涙流すことができるのかということは、今、同じものを読んで皆が泣くかどうかを考えるように意味のないことかもしれない。
でも、親も子もこんな風なら、と思わずにいられない今という時代。それがなによりかなしい。
2012/8/5 (Sun)
やさしいことば。

ときどきぜんぶまちがってるような気がするときがある。
自分の考えも、行動も。
いろいろうまくいかない時にやさしい言葉をかけられたり、読んだりすると、すぐさま涙腺はゆるんで、肩をぽんぽんとされたときのように力がほどける。
今朝の西原さんの「嘘をついてもいいんだよ」は、いじめられてるわけでもない、いい歳のわたしにも届いた。いろいろ乗り越えたさきに、こんなやさしい言葉を持つひとになれるなら、滅多にないチャンスかもしれない。
2012/7/26 (Thu)
告白、のようなもの。

これはちょっとした例えだけれど、全身全霊で告白してふられること数回。
もうつきあっている人がいたり、タイミングが悪かったり、こちらに魅力がなかったり、あるいはその他の理由で。数回といっても、真っ向勝負で負けたのは1回か、2回。
とはいえ、この1,2回がけっこうキツい。これが恋愛に関するほんとうの告白なら1回で十分、次へ気持ちを切り替えるのなんてなかなかできそうにない(と想像したり気を紛らわしたり)。
それに比べたら平気。大丈夫。
と自分を元気づけ、性格が変わりそうないきおいで今日をゆく。
2012/6/28 (Thu)
両足を根っこにして。

よし、今日はたまった仕事を片付けるぞという日には、夏でも靴下をはいてぺたんこ靴を履く。
冷えた足先ではうまく頭が働かず、つま先立ちではからだの動きもぎこちない。
しっかりと足の裏を地面につけて、地球から吸い上げたエネルギーをパワーにかえる。太さは十分、こんなときこそ役にたつ。
2012/6/28 (Thu)
メーテルじゃないけど。

夜に電車に乗っていると、車内の灯りを消してほしいとおもう。
どうせ疲れて眠っているか、四角い蛍のごとくスマホの画面を見ているかの人ばかりだから。
自分も含めて読書中のひともすこしの間顔をあげて、窓の外のいろいろな灯りを眺めよう。
まるで夜空を走る銀河鉄道に乗っている気分になれそうだよ。
2012/6/6 (Wed)
とどまらずに。

この山は越えられる山なのか。
そもそも越えようと思って登りはじめた山は無く、ただそこにとどまっていられずに歩き出しただけ。今いるここよりも、おいしい水、おいしい空気だけを求めて。
確かなのは、ゴールを目指したわけじゃないこと。
死んだわけでもない、死にそうなわけでもない。
歩いていれば景色も変わる。
2012/6/6 (Wed)
先を考えればきりがない。

「そもそもわたしが存在しなかったとしたら」
読んでいる本のなかのことばに広い大きな視野を与えられる。
上も下も右も左もない。
いまも昔も、これからもない。
無重力の視野のなかで、やっとひと息つくことができる。
2012/4/26 (Thu)
反省ずき

調子に乗りそうな自分を疑う。
過度に卑下はしないけど、能天気に喜ぶほど素直じゃない。
「ああすれば、こうすれば良かった」は夢のレギュラー。
足りないのは他人への言葉、気持ちの余裕、足元をみる時間。
きれいなもの、ロマンチックなもの、気づき、感動は日々求めて、与えられて。実はそれだけでも幸せということにうすうす気づいてはいるのだけれど。
2012/2/3 (Fri)
心の石となる。

最近勇気づけられた言葉。
「『ない』ものは『ある』ものよりずっと多様である」(松岡正剛氏)
「ない」情況にあればこそ、私は考え、まあまあもしくは最良の答えを見つけ実行するしかなくなる。すでに「ある」ならば、何も考えず何も行動することはないだろう。こうしてこの一文について考えていることも、どう解釈するのが正しいのかを知ら「ない」からだ。そうして間違っているかもしれない解釈を都合良く取り入れることもなかっただろう。
「ない」は「ある」より素晴らしい。平たく言うとそんな感じ。
2012/2/3 (Fri)
無我か、離我。

客観的にみて、ちょっと意地悪なわたくしをちょくちょく見かける近頃。
基準が明解ではないが、相手がいいひとなら、もちろんいいひとなわたしも健在で。短気も意地悪も、押さえ込めば無理が生じる。そろそろ小爆発も許される年頃かと自分に甘い自分をひとごとのように新鮮な気分で眺める。眺める自分がいなければ、ストップをかける自分も居なくなるのだから仕方がない。どこまで外から見られるか。トシをとるということはやはり自分から離れることが大事なのかもしれず。
2012/1/20 (Fri)
かえる泳ぎ

日々のことに追われていると、とりあえず目の前のことに精一杯で。ふと我をかえりみたときにとても狭い世界で生きているんじゃないかと心配になる。
ただ、広く浅く興味のおもむくままに泳いでいた今までが、大海と呼べるりっぱなものでもなかったなら、たとえ井の中の蛙でもその深さや空の高さを知ることもかけがえのない時間にしたいと思う。
2012/1/17 (Tue)
水で、流す。

「アルコールは人間のはばを広げるために飲むんだよ。」(少なくてもわたしの場合は)
別にいいわけが必要なほどたくさん飲むわけではないのだけれど、早く目覚めてもお布団から出たくない寒い朝、寝ぼけた頭に浮かんだフレーズを書き留める。
お酒は過ぎれば逆にちっちゃな人間になってしまいそうだけど、有り難いことに今は、一口の水道水でも同じ効果を得る。
余計な一言を水と一緒に飲み下す。おかげで心身ともに調子がよい一石二鳥の新習慣。
2012/1/16 (Mon)
かみさまほとけさま、恵比寿さま。

一週間早めに開けた画廊で、新しい出会いが生まれて嬉しい新年。めったにひかないおみくじで凶をひいてしまったことも、今日の時点では裏返しの福となり。
「石の上にも三年」まであと数ヶ月。
指折り数える途中で、かさかさの手を見てふと思う。今まで生きてきた結構な年数も何割引きかで上乗せしてくれたのかもしれないと。ここはやはり初心にもどって、恵比寿様に感謝。
2012/1/14 (Sat)
花となるには。

天野氏曰く、世の中もっとゆっくりと、15秒CMはやめて30秒で話そう。短すぎるコミュニケーションは『言葉のごみ』となるだけと。
楽天ブログのコメント機能がなくなるらしい、と聞いてもさして心境に変化なし。ツイッターやフェイスブックの波には乗ることができない古いブロガーは、とうにコメントを期待しない体勢のまま、ますます唯我独尊となるばかり。
この傲慢さ。時すでに遅く、すでに『言葉のごみ』を吐いているのかもしれないな。
2012/1/13 (Fri)
ストレス算

かろうじて色あせたビニールの書類かばんをひとつゴミに出す。本当はかれこれ三十年もので、ほとんど着なくなったハーフコートも処分するはずが、最後の一回のつもりで着たら案外着られてタンスに逆戻り。残りのシーズンで嫌になるまで着倒すことにする。
近頃はいらいらがつのると何かモノを減らしたくなる。
いらいらー使わないものを処分=ゼロ。
苦肉のストレス算。こうしてバランスをとることで、すっきり暮らせるのはストレスのおかげで、といつの日か思うことができるのではないかと気持ちをコントロールする。
2011/12/31 (Sat)
目くらまし?

一応、言わないと気づかれないほどながらお化粧をする毎日だから、たまの休みは前みたいにすっぴんでいる。「すっぴん」とあえて自覚しないほどに、3年前まではずーっと化粧っけなしだったから、年末年始の長期休みでまた元の気楽さに戻ってしまいそうだ。
気づかぬふりして年々歳を重ねて、映りの正直な鏡を見るとぞっとするのだから、ハタから見れば「気の毒」な感じになっているのだろうな。年輩の女性が大ぶりのアクセサリーをつけたり、明るい色ぶちの眼鏡をかけたりするのはそれも化粧のうちということが実感としてわかるトシ頃。さて来年は、どんな戦術でいこうぞ。
2011/12/31 (Sat)
お茶のじかん

ひとりで喫茶店に入ることができるようになったのはいつからだろう。最初は時間調整でやむなしだった気がするけれど、今はいわゆる「自由時間」のようでうれしい。本を読んだり、考えたり、書いたり。思いついて洗濯したり、テレビ見ちゃったりができないから集中できる。 仲のよいおんな友達と「お茶する」のも、かなり楽しい時間となる。なかなか機会はないけれど。それだけにいっぱい話して笑いあって、甘いもん食べて。想像するだけで、なんて楽しい。 相方と喫茶店も、まー新鮮。向き合ってごはんは食べても、珈琲を飲んで話すことはなかなかない。しごとの段取りを考えているうちに厳しい現状から笑える未来へのきっかけが生まれることもある。たとえそのときその場限りのハイテンションだとしても、ないよりはあるほうがいい。
2011/11/24 (Thu)
劣化

気取らないバッグほど長く使える。いざというときのために大事にしまい込むと、かえって皮は固くなり、内側の素材は劣化してぼろぼろになっていたり。 めったにはかないスニーカーも、雨草履も同じこと。知らないうちに靴底が劣化して、いざというときには目印がわりにパン屑を落としながら歩いているようになったり、底がすっかりはがれたり。
一方、安いコップが割れないのは、緊張感を強いられないからかもしれない。 高い器も毎日使っていると平常心で扱えるから、そうそう割ることもない。
毎日使う。頭も同じか。
2011/9/17 (Sat)
たいしたものではございません。

高価なのか、貴重なのか、手に重みのある指輪を持ったがために、それを狙う者たちに追いかけられる夢を見た。
飲み込めばお腹を裂かれるだろうなとか、隠せば拷問されるだろうなとか、どっちにしても命を奪われるなんて嫌だなあとか。
やっぱりだれもが欲しがるものは持たないのがいちばんだ、と思う教訓的な朝になる。
2011/9/17 (Sat)
重力にさからわず

ものごとは落ち着くところに落ちてゆく、のかもしれない。リンゴが木から落ちるように。
たまに枝にひっかかったりもするけれど、鳥がついばんだり、風が吹いたらいずれは地面に落ちるもの。真下でつついてへたにキャッチしようとすれば、おでこにゴチンと痛い目にあう。
黙って見守って最後に拾って食べるのが、きっと今は、いちばんおいしく食べる方法なのだろう。
2011/8/7 (Sun)
いろいろ忘れて眠りたい。

記憶が正しければ、小さい頃に絵本を読んでもらいながら眠りについたことがない。
最近、布団に横になって(眼鏡をかけて)本を読みながらいつの間にか(眼鏡をかけたまま)眠っていることがある。それがおもしろい本であれば文句なく幸せな短い時間を経て眠りにつく、という経験をしてみて、わかった。絵本の効用が。
こどもなりの不安を忘れて幸福な眠りにつくための儀式なのだと。あくまでも想像だけど。
2011/7/8 (Fri)
善きこと

一日一善がひとのためにすることなら、自分のためだけに善きことと思えることをしよう。 たとえば爪を切る、100%ジュースを飲む、早く眠る、音楽を聴きながら本や新聞を読む、きれいな夕空をぼーっと眺める。
気持ち贅沢なことばかりじゃなく、ささやかな買い物も、もちろん。 新しいスリッパや丈夫な麻シャツ。気持ちよく歩ける五本指靴下、万年筆の色違いのカートリッジ。
気持ちを切り替えるのはささやかなもの。あるいは、こと。
たとえば、乾きかけたシャツにアイロンをかける気持ち良さ。 目下の夏は、これがいちばんだったりする。
2011/6/9 (Thu)
三面鏡にうつして

母のお嫁入り道具だと思われる三面鏡をときどき思い出す。 あっち向いたり、こっち向いたり、鏡のなかに別の角度の鏡に映る自分がいる私自身の小さい頃の記憶。 今の私より若いときの母とわたしを鏡台の前で撮ったモノクロの写真は、なんでこんな写真を撮ったのかと思うような一枚。パジャマ姿の私の右手中指は包帯で巻かれており、同じくパジャマの母ともどもにこりともせず、思い詰めた顔が鏡のなかで倍増されている。親子心中の前のような、あまりに暗い表情で逆に笑ってしまう。父が撮った「なにか」の思い出。 かれこれ50年を共に過ごし、昭和な三面鏡はいろいろな表情をうつしながら今も母の寝室にある。
2011/5/30 (Mon)
意外とほんとうかも。

華族さまの話を聴いたときに、偶然「有栖川の朝」(久世光彦著)を読みはじめていて。 その重なりに驚いたけれど、そのなかに「悪い夢をみないように」重いもの(ある日は火鉢)を抱えて眠る老婆が登場して。ここのところ寝覚めの悪い、夢にはならない夢のような朝が続いていたので、それもまた偶然の縁と、試しに少々重みのあるそば枕を胸のあたりにのせて眠ったらなんだか効いたような。ほんまかいな、とつっこみながらも、まあ、小説のなかの話ですから。 もう一度試す気は、ありますよ。
2011/4/11 (Mon)
ひきだしの中身

外国映画なんかで、しのびこんだ部屋でさがしものをするシーン。 ベッドサイドのひきだしを開けて、入っているあれこれを右へ左へこそりこそりと横へやるあの音や、その手や、入っている手紙や、ペンやマッチや鍵や眼鏡や手帖や、、。 そういうものをひっくるめた感じが好きだと、事務的にひきだしを開けていて突然気づく。 それも、きちんと片付いてなくて無造作にしまわれた感じにキュンとなる。 見られると恥ずかしいものもあるに違いないけれど、たいていの大事な思い出はひきだしの中にしまわれていてほしい。携帯電話の中なんかじゃなく。
2011/3/30 (Wed)
とりあえず、今日を。

朝方、血を吐く夢をみて胃がしくっと痛い。布団の向きを変えたせいか、やはり震災報道の影響か、この二、三日続けて寝覚めが悪く、身体は起き上がらないまま頭のなかが忙しい。 こんなときには先のことを考えず、とりあえずの今日一日のことだけを考えよう。それぞれの場所でそれぞれの役割を果たすことだけを考えよう。そうしようと決めて何とか起き上がる。
2011/3/21 (Mon)
無我

すべては自分のために、誰のためでもなく。 あるいは、 すべては誰かのために。見返りを求めることもなく。 たとえば記憶の累積によって「いいひと」だと認識されることもなく。ひとつひとつの行動がその場限りのものとしか認識されないとしても、毎日持続的に何かをし続けることはできるのか。 それはやはり誰かのためというよりは、誰のためでもない。 前にも後にもその行動があるのみ。 そう決めてしまえば怒ることも悲しむこともなくなって、どんどん無の存在となることができるのだろうか。
2011/3/2 (Wed)
No.

だめだめだ。 髪はけさらんぱさらん、くつ底はななめにすり減っているし、指先はさっき食べたサンドイッチのにほひがする。歳のわりに頬はぷよぷよですでに重力に負けているし、iPhoneで2分話しただけで右肩が痛い。 笑えるぐらいだめだめなので、自分のことだとは思いたくない。 だめ押しは油断している間に相方が撮った動画。そこには見覚えのないオッサンが。 こころを入れ替えよう。しかし、なにから始めたらいいのだろう。
2011/1/31 (Mon)
ときどき、最強。

気になる指先の皮をついめくってしまい血をみる。しばらくは物に触れるのも痛くて不用心に自分のやったことを後悔するけれど、一週間ほどで表面は固くなり深層部分が生まれ変わり、あと少しで治りそうというところの、今の感じが好き。 風邪をひいたときも、かんでもかんでも出てくる鼻水が、お、ちょっと少なくなってきたぞ、、と思っている間に目の前のもやがすっきり晴れていく、あの感じ。 以前、置かれている状況が変わってしんどくなったとき「そのうちに慣れるよ」と言われてそんなものかと思ったけれど、ほんとに。いろいろな場面でモノゴトの輪郭がはっきり見える瞬間がやってきて、人生最強の自分になった気になる。たとえまた新しい「無理」なことがせまってきても、そういう感覚を思い出しながら生まれ変わっていこう。ひとつ歳をとることが嬉しいと思えるように。
2011/1/17 (Mon)
なで肩時代

十年で流行は一回りすると言うけれど、やっぱり古くさいものは古くさく、待てども待てども肩パッドジャケットの時代は戻ってきそうにない。そう見極めて、あれやこれやの肩パッドを夜な夜なはずす。最近の手術よろしく、できるだけ裏地の縫い目を小さくほどき、不自然なブツをするするっと抜いてふたたび縫合する。ちょっとやみつきになりそうな感覚。といってもごく単純にはずすだけで、そのぶんの寸法をつめる技も根性もないのだけれど。触って違和感がなくなった肩は、見た目にも今の自分に沿うような気がしてほっとする。
2011/1/15 (Sat)
50割引の秘密

映画館のサービスで夫婦50割引というのがある。どちらかが50歳以上であればふたりで二千円。つまりひとり千円で映画が観られるサービス。 年齢証明を求められるのは本人だけだから、男女のペアであれば別に夫婦でなくてもいいんじゃないのって、熟年にさしかかったMさんが言っていたのを思い出す。実際に奥さん以外のひとと映画を観ていたかどうかは知らないけれど、そんなの想像すらできない男性もいるだろうに、自由なひとだなあと思ったことがある。こちらも目からうろこだったし。 ふいに居なくなった今は、ちゃんとそういう利用の仕方もした人生だったんだと思うことにした。こんな風な思い出され方も、なんだか喜んでいるような気がする。
2010/12/29 (Wed)
冬の蛍

寒い朝、布団のなかから見えるほこりが、もれてくる朝陽の筋を通るときだけほのかに光って見えるから、まるで季節はずれの蛍のようできれい。
2010/12/22 (Wed)
考える

外出先、雨雲に翻弄されて、ひょっこり一時間の待ち時間。 読む本を持たず、iPhoneも更新なければむやみに長電話するほど若くもなし。 久しぶりに、ぼおーっと考える。 ちょっとしたクリスマスプレゼントのような一時間に、出てくる言葉を書き連ねる。
2010/12/22 (Wed)
私もあなたも、みなさんも。

髪を切ってもらうひとが変わったら、当然ながら仕上がり具合も変わってくる。 自分だけで「思い切って変えてみる」ということは難しいけれど、別のひとのアイデアと手を借りることで目新しい形になる。 ただ、髪型ぐらいならいつかは伸びるものだから気軽にチャレンジできるけど、一部クセと化している暮らしかたのあれこれを、たとえ気づきがあったとしても、ひとの助言で変えることはなかなかできない。そういうひとを「頑固者」というのだな。
2010/12/22 (Wed)
岡っ引き返上か。

失せもの多し。 箸置きひとつ。仏さまの器ひとつ。たぶん他にもいろいろ。 留守のあいだに失せていると、さすがの岡っ引きも推察はするけれど手遅れのことが多く何ひとつ出てこない。困ったもんだ、と言ってみるのも最初のうちで、何らかの害が及ばないかぎりどんどん失せて、どんどんそれに慣れて、そういうことが日常になっていくような気がする。
2010/12/22 (Wed)
迷い続けて

人と(主に相方だけど)話している途中で、結論が二転三転する。 こちらとしては高速フル回転中でより良い方法を考えているつもりだけど、思考途中につき合っているほうはうろつくらしい。 声に出さずに熟考すればいいのだけれど、とりあえず声に出して「投げかけてみる」のは、相手にというより自分に。すると客観的な立場で考えられるような気がして、、というのはまあ言い訳だろうね。でもね、まだまだ迷って悩んでいくのだよ、そういうもんだよ。
2010/12/16 (Thu)
猫のように。

靴下を履いて寝ると、親の死に目に会えないとか体温調整ができなくて健康に悪いとか聞くけれど。 冷たい自分の右足に左足が驚くほどに冷え性なわたしはそんなことは言ってられじとゆるゆる靴下でなんとか眠りにつく。冬だけはうっとり手触りのプーがうらやましい。態度のでかさは負けないけど。
2010/11/25 (Thu)
憂い美人

一喜一憂とはよく言ったもので、これが五つ喜び、一つ憂えるぐらいにはなかなかならぬ。そも、数の問題ではなく、ちょっとした周りの状況に気持ちが左右されるということのようだし。 浮かれるほどに嬉しいことは、さんざん悩んだあとのつかの間のごほうびか。そろそろ、ひとつでいいから浮かれたい。 だいたい「憂いのある顔」からイメージするような艶っぽい趣もないのだから、気がつけば眉間にただシワを寄せているだけのオトナにだけはならぬよう、心して憂えていこうぞ。それもまたひとつしかないこの人生。
2010/10/23 (Sat)
えのきだけ。

一緒に歩いているときに「えのき」に似てると言われて膝のちからが抜けそうになる。 人生最弱にして最笑のたとえ。どこがどんな風に似てるのかは聞いてみてないけれど、なんとなくわかる気もして、ただへなへなと笑っている。 そういや、親愛なるレスリー・チャンはえのきが好きって読んだような。
2010/10/8 (Fri)
吸って、吐く。

機嫌がわるい。日常からちょっと離れてみる。 散髪して頭をマッサージしてもらったら「凝ってますねー」と言われる。 そうさ、思い当たることはいっぱいあるさ。でもほんとに頭も凝るのか。 凝りそうだな、凝るにちがいない。 とりあえず歩いて、食べたいもの食べて、観たいもの観て、必需品の買い物をして、電車のなかでうとうとする。 排気ガスまじりでも、外の空気はそれなりに新鮮。それを忘れるな。
2010/8/18 (Wed)
不介入

「ゆうびんやさん、おーはいり」と回っている縄に入るタイミングは難しい。 高齢者ふたりの会話もエンドレスにぐるぐる。ちょこっと入ってみようかなと思うけど、失敗するとイタイ目にあうのでなるべく回し疲れるまで傍観、傍聴しているのがいいのかと。 でも、万事その体勢でいたら、自分がものすごく冷たい人間にも思えてきて、また、あちゃちゃな失敗をしている。ま、笑えるうちがハナなのか、いや、笑えるところまでこちらがきたということなのか。やっぱり神のみ知るところなり。
2010/7/29 (Thu)
よって立つところ

わたしがわたしというひとであるための「よりどころ」をいくつか持っていよう。 考え方をシンプルにすること。 なるべく余計なことは言わないこと。 しんどいときは笑えることをしよう。 いつものことに飽きたら違うことをしてみよう。 十のうち八つは楽な方を選ぼう。 十のうち二つだけ、しんどいこともしてみよう。その二つはたった二つじゃない自信をくれるから。 そして、あなたにとってのわたしでいよう。 といういろんなことに、たとえ失敗してもくよくよしないでおこう。
2010/7/23 (Fri)
かけがい。

「どこに掛けてほしいと思って描いているのか作家さんに聞いてみるねん」という人がいて。 そういえば私たちは、スペース上大きさの制限はあるけれど、どこに掛けようかとかあまり考えたことがないなあと気づく。 ぱっと観て「いいやん」と思えるかどうか。部屋や暮らしのなかに無理なくとけ込んでしまうよりは、その絵がやって来ることで何か楽しい変化を期待する。実際、ちょっと変わった絵を掛けているときは、毎朝それを観るたびに「おー」と驚いて、珈琲を飲みながら「やっぱりうまいなあ」とか、ときには「なんでこうなるん」と笑わせてもらったり。すんなりとけ込んでもらっては甲斐がないのだな。
2010/7/23 (Fri)
てーへんだ、てーへんだ。

家のなかで起こる奇々怪々なできごとを、あちらこちらの方向から考察して推理して原因を突き止める。というわけで、最近つけられたあだ名は岡っ引き。十手柄のTシャツを思い浮かべて、いや、岡っ引きは本当は十手は持っていなかったはず、となぜか豆知識。 ともあれ、老人との生活は日々新鮮でデンジャラス。実の息子には悪いけど、客観的に見ていられるのは鬼嫁の特権とお許しを。
2010/7/22 (Thu)
狭い、を遊ぶ。

洗濯物をハンガーからはずして一歩も動かずくるっと向きを変えたら、収納先のタンスがある。 おや、これは。単に狭いと言ってしまえばそれまでだけど、狭いなりに便利なこともあるのだなと気づけば、それを楽しむのも一興。 広い場所では理想に掲げても怠惰に流されてできなかった暮らしの極意。「低く暮らし、高く思う」(ワーズワース)を実践できるチャンス。決して低くはないし、大仰だけど。これぞポジティブシンキングなのだ。
2010/6/23 (Wed)
ナンパ

「前にも来ていただいたことがありますか」って、なんだか「どこかでお会いしませんでしたか」っていうひと昔前のナンパのようだと気づいてから、画廊に来てくれたひとにどう声をかければいいのか悩ましい。二年目になって、ますます前に会った気がする状況で記憶はどんどん曖昧になっていく。ひとまず基本にたちかえり「こんにちわ」だな。
2010/6/23 (Wed)
換気が必要

やや不完全燃焼気味である。 その日の気分で冷蔵庫にあるものを使って献立を考え、多少の失敗を好きな器の力でごまかしリラックスしながら楽しくごはんを食べる。多少しんどくてもそれが自分の表現のひとつでその日一日の達成感につながっていたのだと、あらためて思う。そんなこんなが思ったようにはできなくなって、それがこちら側とあちら側の両方でくすぶっていることが余計になんだかなあ、と思う。 雨降って地固まる、にかけるにはリスクが大きくて。すっきりしない梅雨空さながら、がらにもなく愚痴っている、ひとりで。